5月30日〜31日ミステリーツアー

【2日目】

飯盛山へ行きました。
ガイドさんが案内してくださりその後白虎隊の剣舞を踊ってくださいました。

戊辰戦争のおり、16〜17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、
戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じようと、全員が自決しました

20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。

春と秋の年2回行われる慰霊祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます。


飯盛山
参道の階段は道路からは171段あり、その脇を有料のスロープコンベアー(歩道)があります。結構急したが頑張って登りました

  山上にある白虎隊士のお墓です。正面には自刃した十九名の墓と、右脇には戦死した三十一名の墓が祀られてあります.
 
   数えの16歳から17歳の武家の男子、正面の墓は、明治元年(1868)の戊辰戦争において飯盛山で自刃した十九士の墓です。

八月二十三日(新暦十月八日)自刃した隊士の遺骸は、西軍によりてをつけることを禁んじられていました。

約三ヶ月後村人により、密かにこの近くの妙園寺に運ばれ仮埋葬された後にこの地に改葬されました。    
(※現場にある案内から)
   墓地の左側にあった石碑です。

松平容保(かたもり)公弔歌の碑・・

戊辰戦役当時、自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し、九代藩主松平容保公が
次の弔歌を詠まれたのを、現加東町八田野の篤志家八田宗吉氏がこの碑に刻み建てたものです。


・・幾人の涙は石にそそぐとも

   
その名は世々に朽ちとぞ思う・・  源 容保   
  (※案内板から)

   ローマ市寄贈の碑

白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市は昭和3年ローマ市民の名をもって、この碑が贈られました。

ポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱です。

古代ローマの権威を表すファシスタ党章の飾り永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」裏面に「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれてあったが第2次世界大戦後占領軍の命により削り取られた。」と記されています。
   飯沼貞雄の墓

白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は

新蔵の妻ハツに助けられ、後通信省の技師となり仙台通信局工務部長に進み

通信事業に挺身と多大の貢献をなし昭和6年78才で仙台市おいて亡くなりました。

白虎隊の実録も飯沼貞雄氏によって知ることができました・・。案内板より
   遺言によ白虎隊の墓近くに昭和32年(1957)に遺骨の一部が分骨され埋葬されました
   会津藩殉難烈婦の碑

会津戊辰戦争で自刃又は戦死した婦女子二百余名の霊を弔うため
昭和3年4月1日藩士山川健次郎氏(理学博士帝大総長)等の篤志家によって
建てられた顕彰碑です。



お城が燃えていると勘違いして自刃してしまいました


墓地から少し下がった所にある白虎隊士十九の人形が祀られている宇賀神堂です。
、自刃後ただ一人の蘇生者であった飯沼貞雄氏(幼名貞吉)です。飯沼さんは蘇生後、逓信省で技師となり、退官後は仙台市に住んでいましたが
昭和6年2月12日79歳で亡くなりました。


さざえ堂(国指定重要文化財)

   
戸ノ口堰洞門の近くにあり、寛政8年(1796年)、実相寺の僧郁堂により建立されたといわれる仏堂です。六稜三層の形がさざえに似ていることからこの名で親しまれています。
堂内に入ると、上り下りするためのらせん階段があり、参拝者は一度も対向する他の人に出会うことなく、また一度も同じ道を通ることなく、一方通行で堂内を参ることができるという世界的にも珍しい建物です 

戸の口堰洞穴




最後に剣舞の衣装で案内してくださったガイドさんがお土産やさんの前で剣舞を披露してくださいました。

お昼は会津若松名物輪箱飯(わっぱめししを頂きました。

老舗の田季野というところでしたが忙しかったのかわっぱめしを食べ終わってから味噌汁が出てきたのには驚きでした・

   

七日町通りの散策

レトロなところはたくさんいているので別段感動もなく近くにあった阿弥陀寺を散策しました。



120年の歴史があるそうです。

阿弥陀寺

バス停のすぐそばにあります。
鶴ヶ城の遺構として唯一残る貴重な建物「御三階(ごさんがい)」と阿弥陀寺境内には斎藤一の墓のほか、戊辰戦争で戦死した1300名の遺骨が埋葬された戦没者の墓は、同じ場所「阿弥陀寺」に今もひっそり佇んでいます。





御三階

会津本郷窯元の流紋焼き・・サイトはこちらです。
ここで工場見学をしました。
流紋焼きは初めて知りましたが、私たちがよく目にする電柱の絶縁体碍子は流紋焼きだそうです

見学コース
粉塵があり私には向きませんでした。鼻と口を手で覆って見学しました。


最後にみんな知っている郡山市の柏や薄皮饅頭の柏屋へ立ち寄り二日間のミステリーツアーは終わりました。
二日間決行盛りだくさんでしたがあまりきつい肯定ではなく楽しめました。
この薄皮饅頭は日本三大饅頭に選ばれたそうです。