2016−3−31・小金井公園お花見と江戸東京たてもの園
ちょうど満開ですばらしいお花見ができました。ど菜の花も咲いていて素敵なコラボに成りました。
まだ陽光桜が咲いていました。
江戸東京たてもの園・・・公式サイトはこちらです。
江戸東京たてもの園は、1993年(平成5年)3月28日に開園した野外博物館です。
都立小金井公園の中に位置し、敷地面積は約7ヘクタール、園内には江戸時代から昭和初期までの、30棟の復元建造物が建ち並んでいます。
ここでは、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、
貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。
入り口
ビジターセンター(旧光華殿)(きゅうこうかでん)
1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿です。
1941年(昭和16)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築されました。
江戸東京たてもの園の開園にあたり、ビジターセンターとして改修しました
【東ゾーン】
昔の商家・銭湯・居酒屋などを通して、下町の風情を楽しむことができます。
復元した建物の中には、当時の暮らしや商売の道具・商品などを展示しています。
NHK朝ドラ・ ・とと姉ちゃんでもここでロケしました。
子宝湯
「千と千尋の神隠し」のモデルになった湯婆婆たちがいる銭湯の油屋のモデルになった建物です。
村上精華堂(むらかみせいかどう) 台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。 昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを行っていました。正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。 [台東区池之端二丁目/1928年(昭和3)] |
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武居三省堂(文具店)(たけいさんしょうどう) 明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。 建物は震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。 [千代田区神田須田町一丁目/1927年(昭和2)] |
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丸二商店(荒物屋)(まるにしょうてん) 昭和初期に建てられた荒物屋です。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。 店内は昭和10年代の様子を再現しています。裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現しています。 [千代田区神田神保町三丁目/昭和初期] |
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小寺醤油店(こでらしょうゆてん) 大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。味噌や醤油、酒類を売っていました。 庇の下の腕木とその上の桁が特徴の〈出桁造り(だしげたづくり)〉がこの建物のみどころです。 [港区白金五丁目/1933年(昭和8)] |
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大和屋本店(乾物屋)(やまとやほんてん) 港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた木造3階建ての商店です。3階の軒下を伝統的な〈出桁造り〉にする一方、間口に対して背が非常に高く、看板建築のようなプロポーションを持ったユニークな建物です。戦前の乾物屋の様子を再現しています。 [港区白金台4丁目/1928年(昭和3)] |
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万世橋交番(まんせいばしこうばん) デザインや建築様式から明治時代のものと思われます。 正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとにあり、移築の時にはトレーラーでそっくり運びました。 [千代田区神田須田町一丁目/明治後期(推定)] |
都電7500形
渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・(神田)須田町まで走っていた車輌です。
交通量の急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて1972年(昭和47)から順次廃止されました。
製造年:1962年(昭和37)
所属営業所:青山営業所→柳島営業所→荒川営業所
【西ゾーン】
三井八郎右衞門邸(みついはちろうえもんてい)
港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は、1897年(明治30)頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。
中庭から
デ・ラランデ邸(で・ららんでてい) 新宿信濃町にあった西洋式住宅です。ドイツ人建築家ゲオグル・デ・ラランデにより、木造三階建ての住宅として大規模に増築されました。 1956年(昭和31年)から乳酸菌飲料のカルピスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいましたが、 雲氏死後は三島食品工業株式会社の事務所として1999年(平成11年)まで使用されていました。 [新宿区信濃町/1910年(明治43)ころ] |
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小出邸(こいでてい) 建築家堀口捨己が、ヨーロッパ旅行からの帰国直後に設計した住宅です。 当時ヨーロッパで流行していたデザインと、日本の伝統的な造形を折衷した造りになっています [文京区西片二丁目/1925年(大正14)] |
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前川國男邸(まえかわくにおてい) 建築家前川國男の自邸として、 品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅です。 [品川区上大崎三丁目/1942年(昭和17)] |
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田園調布の家(大川邸)(でんえんちょうふのいえ) 1925年(大正14)郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。 居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。また、当時としては珍しく全室洋間となっています。 [大田区田園調布四丁目/1925年(大正14)] |
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常盤台写真場(ときわだいしゃしんじょう) 照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得るために、 2階写場の大きな窓には北側から光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。 [板橋区常盤台一丁目/1937年(昭和12)] |
【中央ゾーン】
高橋是清邸
明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分です。
2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11)の2・26事件の現場になりました。
[港区赤坂七丁目/1902年(明治35)]
2階からムラサキハナナの群生がきれいでした。
まだまだ建物がたくさんあって見切れなかったので次回又見てこようと思います。